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東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)46号 判決

原告

インターナシヨナル・スタンダード

・エレクトリツク・コーポレーシヨン

右代表者

レナード・ビー・マツキー

右訴訟代理人

エルマー・イー・ウエルテイ

高取伸一郎

被告

特許庁長官

熊谷善二

右指定代理人

中島幹雄

外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日とする。

事実および理由

第一当事者の求めた裁判

原告訴訟代理人は「特許庁が昭和五一年補正審判第三〇号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告指定代理人は主文一、二項同旨の判決を求めた。

第二争いのない事実

一特許庁における手続の経緯

原告は、昭和四九年二月七日特許庁に対し、名称を「電荷担体箔」とする発明につき、西暦一九七三年(昭和四八年)二月八日ドイツ連邦共和国にした二件の特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願したが、昭和五〇年六月一六日拒絶理由通知を受けたので、同年一一月四日手続補正書を提出したところ、同年一二月一日補正却下の決定がなされた。そこで、原告は昭和五一年六月八日補正却下の決定に対する審判を請求し、昭和五一年補正審判第三〇号として審理されたが、同年一〇月五日「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、出訴期間として三ケ月を附加する旨の決定とともに同年一〇月二五日原告に送達された。

二本願特許請求の範囲

(一)  本件補正前

可撓性伝導基質、該基質上の伝導中間層、該中間層は添加剤としてカーボンブラツクを含有するポリ酢酸ビニルからなる・および該中間層上に配置の非伝導セレン層・以上からなる電荷担体箔。

(二)  本件補正後

可撓性導電金属箔と、当該金属箔上で添加剤としてランプ・ブラツクを含有するポリビニル・アセタールから成る中間層と、当該中間層上に配置の不導体セレン層から成る電荷担体箔。

三審決理由の要点

本件補正は、本願願書に最初に添付された明細書の記載中、電荷担体箔の中間層に使用する樹脂材料として「ポリ酢酸ビニル」を「ポリビニルアセタール」に補正しようとするものである。ところで、その明細書には、ポリビニルアセタールに関する記載はもちろん、それを示唆する記載もない。またポリビニルアセタールが、中間層(感光板の導電性支持体とセレン層とを接着する層)に使用されることが自明な事項であるとも認められない。したがって、本件補正は原明細書に記載された事項の範囲を越え、その要旨を変更するものといえる。なお審判請求人は、本件補正は、優先権証明書として差出したドイツ連邦共和国原出願明細書の翻訳の際、ポリビニルアセタールをポリビニルアセタート(ポリ酢酸ビニル)と誤訳したことの訂正であり、出願の対象の同一性の範囲内にあるから適法である旨主張するけれども、ドイツ連邦共和国にした特許出願は優先権の主張の基礎となるものに過ぎず、わが国の特許出願の願書に添付された明細書でないので、採用できない。そうすると結局本件補正は却下を免れない。

四明細書の記載と誤訳

願書に最初に添付された明細書に「ポリビニルアセタール」に関する記載は何もない。ただし、審決判示のとおり、ドイツ連邦共和国に出願した際の願書には「ポリビニルアセタール」とあつたものを、本願の明細書において、「ポリ酢酸ビニル」と誤訳したものである。

五優先権証明書の提出日

優先権証明書が特許庁に提出されたのは、昭和四九年四月三日である。

第三争点

一原告の主張(審決取消事由)

審決が、いわゆる誤記の訂正もしくは明瞭でない記載の釈明の範囲を出ない本件補正につき、要旨を変更するものとして、これを却下したのは、判断を誤つたもので違法であつて取消されねばならない。

本願はドイツ連邦共和国にした特許出願に基づく優先権主張による出願であるから、願書に添付された明細書は、優先権証明書に添付された第一国であるドイツ連邦共和国出願の明細書に基づいて記載されたものであり、特許法施行規則第二条により特許出願の書面は日本語で作成されねばならないので、第一国出願明細書の翻訳文として取扱わねばならない、したがって、外国人が出願人である場合に、その翻訳の過程に伴つて避けることのできない翻訳者の錯誤による誤訳・混同等は、明細書原文の範囲内である限り、誤記の訂正または明瞭でない記載の釈明として補正が許されなければならず、本願はすでに発明が完成されているのであるから、この補正によつて先願主義に反するものではなく、後願者の利益を害することにもならない。これをもし要旨変更として許されないとするならば、優先権主張に基づく発明者および出願人の利益を著しく害うことになる。

ところで本件補正は、第一国出願明細書原文における「ポリビニルアセタール(polyvinyl acetal)」を、ドイツ語原文ではともに一五文字からなり、最後尾の文字が「l」と「t」と違うだけの「ポリビニルアセタート(polyvinyl acetat)」すなわち「ポリ酢酸ビニル」とした翻訳者の誤訳によつて生じた誤記を訂正しようとするものである。したがつて「ポリ酢酸ビニル」を「ポリビニルアセタール」と訂正することは、誤記の訂正または明瞭でない記載の釈明といわねばならない。

もともとポリビニルアセタールは、ポリ酢酸ビニルを加水分解して得られるポリビニルアルコールをアルデヒドと反応させ、その水酸基の一部分をアセタール化したものである。ポリビニルアセタールとポリ酢酸ビニルとは異なる物質ではあるが、両者の性質はかなり類似し、また用途も類似した点が多く、ともに接着剤、ラツカー、塗料、フイルムさらには電子記録用感光板の有機光導電材料とセレン層間の中間接着剤として使用される。したがつて、ポリ酢酸ビニルをポリビニルアセタールと補正しても、単なる材料の変換または均等物置換の場合と同じく、発明の同一性を失わず、いずれにしても本件補正は要旨の変更となるものではない。

二被告の答弁〈省略〉

第四裁判所の判断

一本件補正の対象として考慮すべき明細書について

パリ条約は属地主義を原則とし、各国特許独立の原則に立つているから、同条約に基づく優先権主張による出願であつても、わが国における特許の成否は、国内法による出願書類によることはいうまでもなく、第一国出願の明細書は、優先権の効力すなわち出願日遡及の有無を検討する資料としての、いわゆる優先権証明書に過ぎず、それ自体ないし翻訳文がわが国特許出願における明細書としての性質もしくは効力を持つものではない。したがつて本件特許出願の願書に最初に添付された明細書に第一国出願明細書の翻訳にあたつての誤訳がふくまれた事情があつても、それ自体明細書の誤記ということはできず、この主張を論拠とするところは採用できない。

ちなみに、優先権証明書は、特許法第四三条第二項によれば特許出願の日から三月以内に提出すればよいことになつており、本件出願においても、それが出願日後五十余日である昭和四九年四月三日に提出されていることは当事者間に争いがない。このことも、優先権証明書すなわち第一国出願明細書が、わが国出願の願書に最初に添付された明細書を裏付けるものでないこと、すなわち出願による発明の開示と直接関係ないことを示すものといえる。

結局、本件補正が要旨を変更するものであるかどうかは、わが国出願の願書に最初に添付された明細書のみにより、その記載した事項の範囲内であるかどうかを検討して定めなければならない。

二要旨の変更の有無について

ところで、願書に最初に添付された明細書に、ポリビニルアセタールに関する記載が何もないことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉(本件特許出願の公開公報)を精査してみても、当該明細書に「ポリ酢酸ビニル」が「ポリビニルアセタール」の誤記であることをうかがわせるような記載はなく、次に認定する両者の性質の異同からみて、ポリ酢酸ビニルでは中間層として使用する樹脂材料としては発明として技術的に矛盾したり、また化学常識として、もともとポリビニルアセタールを示すものとして掲げられたものとみることはできず、もとよりその間に発明の同一性を認めることも、とうていできない。

すなわち、〈証拠〉によれば、ポリ酢酸ビニルはポリビニルアセタールとは別に実在する樹脂であつて、ポリビニルアセタールとはともに本願発明の中間層に使用できるような性質・用途において類似するところがある反面、引張り強さおよび熱変形温度の値において互いに重複するところがないなど性質において異なるところがみられる化合物であることが認められるのである。

以上の事実を総合して検討し、さらに、電荷担体箔の中間層に使用する樹脂材料として「ポリ酢酸ビニル」を「ポリビニルアセタール」に補正しようとすることは、まさに本願特許請求の範囲の技術的事項の基本に触れることを考え合わせれば、本件補正は、出願の願書に最初に添付した明細書に記載した事項の範囲内のものとはいえないことが明らかであるから、要旨を変更するものといわざるをえず、これを却下した審決の判断に誤りはない。〈以下、省略〉

(小堀勇 舟本信光 小笠原昭夫)

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